あなたは「三國連太郎と石田えりの関係って何だったの?」と思ったことはありませんか?結論、二人は映画「釣りバカ日誌」で共演し、石田えりの降板には三國連太郎が関係していたという噂があります。この記事を読むことで二人の関係や降板の真相がわかるようになりますよ。ぜひ最後まで読んでください。
1.三國連太郎と石田えりの関係とは

釣りバカ日誌シリーズで共演した二人
三國連太郎と石田えりは、国民的人気映画「釣りバカ日誌」シリーズで共演していました。
石田えりは1988年から1994年まで、主人公ハマちゃん(西田敏行)の愛妻みち子さん役を演じました。
一方、三國連太郎は鈴木建設の社長である鈴木一之助、通称「スーさん」を演じていました。
二人は釣りを通じて友情を深めるハマちゃんとスーさんの物語の中で、重要な共演者として映画を盛り上げていたのです。
石田えりのナイスバディと愛くるしい笑顔は、映画ファンだけでなく、大御所の三國連太郎まで魅了してしまったと言われています。
三國連太郎のプロフィールと俳優としての実績
三國連太郎は1923年1月20日生まれ、静岡県出身の日本を代表する名優です。
本名は佐藤政雄といい、1951年に映画「善魔」でデビューしました。
デビュー作の役名「三國連太郎」をそのまま芸名として使用し、以後日本映画界を牽引する存在となりました。
代表作には「ビルマの竪琴」「飢餓海峡」「犬神家の一族」「釣りバカ日誌」シリーズなど数多くの名作があります。
日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を3回受賞するなど、その演技力は高く評価されていました。
息子は俳優の佐藤浩市、孫も俳優の寛一郎という芸能一家でもあります。
2013年4月14日に急性呼吸不全により90歳で逝去しましたが、その存在感は今なお語り継がれています。
石田えりのプロフィールと女優としてのキャリア
石田えりは1960年11月9日生まれ、熊本県八代市出身の女優です。
本名は内田恵理子といい、幼い頃から歌手に憧れていました。
1976年に「スターチャレンジ!!」のアシスタントで芸能界デビューし、1978年に映画「翼は心につけて」で主役に抜擢されました。
1981年の映画「遠雷」では日本アカデミー賞優秀主演女優賞と新人女優賞を受賞し、女優としての地位を確立しました。
その後も「金曜日の妻たちへ」「ウルトラマン80」「釣りバカ日誌」シリーズなど、数多くの作品に出演しています。
1985年にミュージシャンの芳野藤丸と結婚しましたが、1990年に離婚しています。
サバサバとした性格で知られ、多くの男性から言い寄られても基本的には相手にしなかったと言われています。
映画での役柄と共演期間
石田えりは釣りバカ日誌シリーズの第1作目から第8作目まで、ハマちゃんの妻みち子さん役を演じました。
みち子さんは明るく元気で、釣りばかりしているハマちゃんを温かく見守る愛妻として描かれていました。
石田えりの演じるみち子さんは、持って生まれたフェロモンと女性としての色気を体から発散していたと西田敏行も振り返っています。
三國連太郎演じるスーさんとは、ハマちゃんを介して交流するシーンが多くありました。
撮影現場では西田敏行と三國連太郎の台本にないアドリブ芸が飛び交い、石田えりはそれに対応するのに苦労していたとも言われています。
共演期間は1988年から1994年までの約7年間で、この間に8作品に出演しました。
2.石田えり降板の真相

釣りバカ日誌11作目からの交代劇
石田えりは1994年の「釣りバカ日誌スペシャル」を最後に、シリーズから突如降板しました。
次作である11作目からは、浅田美代子がみち子さん役を引き継ぐことになりました。
この交代は事前の予告もなく行われたため、映画ファンの間では大きな驚きとなりました。
浅田美代子の演じるみち子さんは、石田えり版とは異なり、より優しく温かみのあるキャラクターとして描かれました。
西田敏行は「浅田さんとは友達っぽいから合体しにくかった」と語っており、二人のみち子さんには明確な違いがあったことがわかります。
石田えり時代のみち子さんにはエロスが溢れ出ていたのに対し、浅田美代子時代は親しみやすさが前面に出ていたのです。
三國連太郎からのアプローチ説の詳細
降板の原因として最も広く語られているのが、三國連太郎からのアプローチを石田えりが無視したという説です。
当時すでに還暦を超えていた三國連太郎でしたが、石田えりの肉感的な魅力に惹かれ、猛然とアプローチをかけたと言われています。
三國連太郎はかつて愛した女優・太地喜和子の面影を石田えりに見たのではないかとも噂されました。
しかし石田えりは、その大御所からのアプローチをあっけらかんと無視したそうです。
三國連太郎は「可愛さあまって憎さ百倍」となり、制作サイドに圧力をかけて石田えりを降板させたという話が広まりました。
三國連太郎自身もこの噂を否定しなかったと言われており、信憑性は高いとされています。
石田えりは数多くの男性に言い寄られた経験がありますが、サバサバした性格のため基本的には相手にしなかったようです。
撮影現場でのアドリブ芸に困惑したという説
もう一つの説として、撮影現場でのアドリブに石田えりが困惑していたという話があります。
西田敏行と三國連太郎は台本にないアドリブ芸を多用することで知られており、石田えりはそれに対応するのに悩んでいたとされています。
山田洋次監督が説得を試みたものの、最終的に石田えりは降板を選択したという情報もあります。
一方、浅田美代子はデビュー当時「時間ですよ」で共演陣のアドリブ芸で鍛えられていたため、問題なく対応できたそうです。
また、役がマンネリ化したことや、当時の夫・芳野藤丸との離婚の理由に映画撮影による拘束があったという説もあります。
これらの複数の要因が重なって降板に至ったという見方もあり、真相は必ずしも一つではないのかもしれません。
浅田美代子への交代の経緯
浅田美代子は1995年の釣りバカ日誌11作目から、みち子さん役を引き継ぎました。
浅田美代子の起用は、アドリブに強いという点が大きな理由だったと言われています。
浅田美代子が演じるみち子さんは、石田えり版とは異なる温かみと親しみやすさが特徴でした。
むしろみち子さんからハマちゃんに合体をしかけていくシーンが多くなり、夫婦の関係性にも変化が見られました。
浅田美代子は2009年の「釣りバカ日誌20 ファイナル」まで、15年間にわたってみち子さん役を演じ続けました。
結果的にシリーズに新鮮さをもたらし、新たなファン層の獲得にも成功したと評価されています。
3.三國連太郎の女優との関係性

過去の女性関係とジゴロとしての評判
三國連太郎は芸能界屈指のジゴロとして知られ、奔放な女性関係で有名でした。
結婚を4度経験しており、それぞれの結婚と離婚には様々なドラマがありました。
俳優の佐藤浩市は3番目の妻との間にできた息子ですが、三國連太郎には他にも複数の女性関係がありました。
撮影現場では女優に対して非常に積極的で、数々の女優を口説き落としたという逸話が残っています。
ベッドシーンでは前貼りを外させたり、リハーサルから本気で演技していたという伝説的なエピソードもあります。
女性を暴行する役の時は、リアリティを追求するあまり、リハーサルから本気で暴行していたとも言われています。
このような強烈な個性と演技へのこだわりが、三國連太郎を名優たらしめた一方で、様々な女性トラブルも生んだのです。
太地喜和子との不倫エピソード
三國連太郎の女性関係の中でも特に有名なのが、女優・太地喜和子との不倫です。
太地喜和子は「魔性の女」として知られ、三國連太郎はその魅力に深く惹かれていたと言われています。
二人の関係は映画界では公然の秘密となっており、激しい恋愛関係にあったとされています。
三國連太郎が石田えりに猛アプローチをかけたのは、石田えりに太地喜和子の面影を見たからではないかという説もあります。
太地喜和子との関係は三國連太郎の人生に大きな影響を与え、その後の女性観にも影響したと考えられています。
このような過去の恋愛経験が、石田えりへのアプローチにもつながっていったのかもしれません。
撮影現場での大胆な演技スタイル
三國連太郎の演技スタイルは、リアリティを追求する非常に大胆なものでした。
役作りのためには歯を10本抜くなど、常識を超えた努力をすることで知られていました。
映画「異母兄弟」では老人役のために実際に上下の歯を10本抜き、老け顔を作り上げました。
浮浪者の心理を探るために荒んだ格好で徘徊し、一般人カップルに絡んで逮捕されそうになったこともあります。
撮影所では役者やスタッフの安全のために自ら釘を拾うという心優しい一面もありました。
しかし女優との共演シーンでは非常に情熱的で、時に度を越した演技指導をすることもあったようです。
このような三國連太郎の演技への姿勢が、石田えりとの関係にも影響を与えたのかもしれません。
石田えりへの魅了とその後の展開
三國連太郎は石田えりのグラマラスな体型と、どこか日本人的な母性を感じさせる魅力に惹かれたと言われています。
石田えりは別の映画「遠雷」では、素晴らしいバストを惜しげもなく披露しての濡れ場を演じており、その肉感的な魅力は広く知られていました。
何度も共演していれば、三國連太郎がそんな彼女の魅力に気付かないはずがなかったのです。
しかし石田えりは三國連太郎のアプローチを完全に無視し、男前な性格で通したとされています。
この結果、三國連太郎は制作サイドに圧力をかけて石田えりを降板させたという噂が広まりました。
石田えり自身は降板理由について明確に語っていませんが、撮影現場が合わなかったことは認めています。
降板後、石田えりはテレビドラマ出演が格段に増え、女優としてのキャリアを順調に続けていきました。
4.石田えりのその後の活動

降板後の女優としてのキャリア
釣りバカ日誌を降板した後も、石田えりは精力的に女優活動を続けました。
1991年の映画「飛ぶ夢をしばらく見ない」ではアジア太平洋映画祭主演女優賞と日本アカデミー賞最優秀助演女優賞を受賞しました。
テレビドラマでは「GOOD LUCK!!」「風のガーデン」「おみやさん」「朝が来る」など多くの作品に出演しています。
舞台でも「ドリームガール」「カストリエレジー」「GS近松商店」など様々な作品で活躍しました。
映画では独立系作品にも積極的に出演し、自分が気に入った役ならばメジャー・独立系に関係なく選んでいます。
2008年の映画「サッドヴァケイション」では高崎映画祭最優秀主演女優賞を受賞しました。
釣りバカ日誌の降板は、むしろ石田えりの女優としての活動の幅を広げる結果となったのです。
私生活と結婚歴について
石田えりは1985年にミュージシャンの芳野藤丸と結婚しました。
芳野藤丸は西條秀樹や桑名正博のサポートバンドを務めた実力派ミュージシャンでした。
しかし二人の間に子供はおらず、1990年に離婚しています。
離婚の理由は明らかにされていませんが、映画撮影による拘束が一因だったという説もあります。
離婚後は再婚しておらず、独身を貫いています。
幼少期は両親が離婚し、3歳から9歳まで妹と一緒に児童養護施設で育ったという苦労もありました。
このような経験が、石田えりのサバサバとした性格や強さを形成したのかもしれません。
サバサバした性格と男性関係
石田えりは「男前」と評されるほどサバサバとした性格で知られています。
離婚後、三國連太郎をはじめ萩原健一など、数多くの男性に言い寄られた経験があります。
しかし基本的にはそれらのアプローチを相手にせず、浮いた噂もあまり聞かれませんでした。
大御所の三國連太郎からのアプローチでさえ、あっけらかんと無視したというエピソードがそれを物語っています。
自ら売名行為のために有名人に取り入ろうとする人も多い芸能界で、石田えりは自分の信念を貫く姿勢を保ちました。
2017年のマツコ・デラックスの番組では、石田えりの恋愛観について「うわ意外!!」と驚かれる場面もありました。
ナイスバディと愛くるしい笑顔で男性のハートをつかみながらも、あっけらかんとしている石田えりの魅力は今も健在です。
現在の活動と今後の展望
2017年、当時56歳だった石田えりはライザップに挑戦し、大きな話題となりました。
ライザップのCMでは、努力の末にウエストマイナス14.5センチという劇的な変化を遂げました。
そして「成功したら脱ぎますよ!全部脱ぎます!」と宣言し、実際に23年ぶりの水着姿を披露しました。
目指したのは「史上最強50代美ボディ」で、その挑戦は多くの人々に勇気を与えました。
2017年には20年ぶりのグラビア撮影も行い、56歳とは思えない美しい体を披露しました。
現在も映画、ドラマ、舞台と幅広く活動を続けており、日本映画界に欠かせない名女優の一人として活躍しています。
成熟した肉体に少女の天真爛漫さとふくよかな母性を秘めた石田えりは、今なお多くの制作者や監督を刺激する女優なのです。
まとめ
この記事のポイントをまとめます。
- 三國連太郎と石田えりは映画「釣りバカ日誌」シリーズで1988年から1994年まで共演していた
- 三國連太郎は日本を代表する名優で、日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を3回受賞した実績を持つ
- 石田えりは1960年生まれの熊本県出身の女優で、日本アカデミー賞を複数回受賞している
- 石田えりは釣りバカ日誌第8作目で突如降板し、次作から浅田美代子に交代した
- 降板の原因として三國連太郎からのアプローチを石田えりが無視したという説が有力視されている
- 撮影現場でのアドリブ芸に困惑していたという別の説も存在する
- 三國連太郎は芸能界屈指のジゴロとして知られ、4度の結婚歴と多くの女性関係があった
- 石田えりは降板後も女優として活躍し、2017年にはライザップで美ボディを披露した
- 石田えりはサバサバした性格で多くの男性からのアプローチを基本的に相手にしなかった
- 現在も石田えりは映画、ドラマ、舞台で活躍を続けている
三國連太郎と石田えりの関係は、日本映画史における興味深いエピソードの一つです。真相は完全には明らかになっていませんが、二人の共演と降板の背景には様々なドラマがあったことがわかります。石田えりはその後も女優として輝き続けており、年齢を重ねても挑戦を続ける姿勢は多くの人に勇気を与えています。あなたも石田えりの作品を見て、その魅力を再発見してみてはいかがでしょうか。
関連サイト
松竹株式会社 公式サイト